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11月30日午前9時57分

外が明るくなってきた。
ママさんの弟さんも早朝に起きて5時ごろ来てくれた。
病室には弟、ママさんの弟である叔父さん2人、そして下の弟さんの奥さんである叔母さん、そして私がいた。ただおばさんは用があって早朝帰ることに。
「お姉さん、よお頑張ったなぁ。ごめんやで、帰るからなぁ」と手を握り帰っていかれた。
このときには呼吸数は10回になっていた。それなのに血圧は安定している。
弟が子供たちの様子を見るため一旦家に帰ったが1時間ちょっとで戻ってきた。
朝8時を過ぎた。ママさんは頑張っている。でもどうみてももう完全に限界点は越えているはず・・・。おしっこも出てない、むくみは頭の皮膚の間にまで溜まっているみたいでさわると感触が違う。
呼吸数がたまに9回ぐらいになるまで減っていた。
ママさんの手を握る、暖かい。ママさんは生きている。

あまりのねむさに弟もいてくれたので、ベット横の長いすで仮眠する。1時間ぐらいたっただろうか?なんかの気配で飛び起きた。
ママさんの横に行ったら眠っていたママさんの目がぱっと開いた。
そして・・・息を引き取った・・・・。

直前の様子が分からず弟に聞いたら、急に20秒ぐらい息が速くなったらしい。それでえっ?と思ったら同時に私が飛び起きママさんは息を引き取った・・・。たばこを吸いに一息つきに病室を出ていたおじさん二人も休みで来ていた婦長さんがナースセンターに入ったらママさんの心拍数とその動きにこれは危ない!とあわてておじさんたちに「早く病室戻って!」と声を掛けてくれ叔父さんも戻ってきたがほんの数秒だけ間に合わなかった・・・。私は言った。「おかあさん、楽になったね」その瞬間は涙は出なかった。目を開いたまま亡くなったママさんに「お母さん目閉じてあげようね」と言って閉じてあげた。
最後の20秒・・・。苦しかったのだろうか?最期に目を開くというのはなんだったんだろう?普通人が亡くなるときは目を開けるのだろうか?でも顔は苦しい顔は、していなかった。普通に眠っているようだ。

その日の当直の先生に死亡確認をしてもらった。
11月30日9時57分。
「ご臨終です」まるでドラマみたいだった。なのに私は淡々とした時間を5分ぐらい過ごした・・・。ママさんのベット横では取り乱さなかった。でも病室を出て旦那と長男に電話したときには病院の階段で号泣していた。

主治医が4日間の出張から戻ってきて朝いちに出てきた。
「よく頑張りました。ほんとに・・・」出張前に戻ってくるまでもたないだろう・・・!と言っていたので・・・。
ママさんはおしっこの管と左静脈にカテーテル管を入れていたし、胸水を抜く管も入っていた。早く抜いてあげて欲しかった。ママさんはよく管が入っているとすごい憂鬱そうにした。当たり前だが・・・。主治医に処置をしてもらって、そのあと看護師さんが綺麗にママさんの身体を拭いて処置をしてくれた。新しいパジャマに着替えさせてもらった。
私はそんなママさんの死化粧をしてあげた。笑顔でやってあげた。看護師さんと笑顔で話しながら・・・。
ママさんのためにも泣いてはきっと私はお化粧出来ない!と思った。
綺麗になった。5ヶ月ぶりのお化粧。おだやかな顔だ。まだママさんは温かい。病人だったのにやせなかったから顔もいい顔だ。

ママさんは結婚してから3年半前まで大阪に住んだ。友達も多かった。
だからお別れのお葬式は大阪でしてあげよう!と1週間前から決めていた。
幸いにも伯母さん夫婦がよくしてくれて知り合いの葬儀屋さんにも声を掛けて便宜を図ってくれた。
だからママさんのお迎えの車も大阪から来た。ママさんが入院していた京都の国立療養所まで遠いので少し時間がかかったがそれまでずっと病室にママさんはいた。安置室とかそんな暗いところに行かずに自然光の入る病室にいれてよかった。
そしていよいよお迎えが来て病院を出るとき、休みだったけど会議で来ていた婦長さん、s看護師さん、そしていつもお世話になったその日担当の2人の看護師さん、そして主治医のn先生。たくさんの方に車まで見送ってもらい、婦長さんにはねぎらいの言葉を掛けてもらいました。他の病院もこうしてお見送りをしてくれるのでしょうか?婦長さんの言葉に今にも涙腺が切れそうでした。ここで泣き出したら私はずっと止まらなくなりそうだから目に涙をためたまま、笑顔で挨拶しました。もとが泣き虫ごんぼだから辛かった・・・。

ママさんが入院直前まで住んでいた弟の家に一度連れて帰った。帰りたいと言っていたママさんの希望をかなえてあげたかった。仮通夜という大層なことではないが、ご近所の方にもお参りしてもらいたかったし・・・。ママさんが寝ていたお布団を北枕にして準備し、ママさんが寝かされた。寒い時期だが遺体が悪くならないようにと頭の左右のところと胃のところにドライアイスを乗せ、私と弟も手伝いながらママさんを運んで来てくれた業者さんに白装束に着せ替えてもらいママさんは自分の布団に寝た。ちょっとのつもりで出た家・・・。ママさんやっと帰ってきたよ!!!でも、ママさんの手はもうすっかり冷たい。まるで氷のようだ・・・。その夜は仮通夜のような形でお寺さんも大阪から来てくれ、お参りしてくれた。春の法事の時にママさんがお願いして来てもらった方だ。ご主人を数年前に亡くされ、息子さんと2人で寺をやっている。ママさんより1歳だけ下ということと昔から知っていたということでただお参りしに来てくれた方とは違い、いろんな話をしてくれ私はその方の前で号泣した。一緒に泣いてくれていた・・・。「悔しい!!」と何回も言って・・・。


その夜は早速町内の班の方に知らせたのでご近所の方がお参りに来てくれてにぎやかな夜となった。
その夜私はママさんと同じ部屋で寝た。
悲しくて悲しくて仕方なくて寝付くまで時間はかかったし、眠りは浅かったがママさんが同じ部屋にいるというだけで興奮した気持ちはなく落ち着いていた・・・ぬくもりはないのに。
そして、長い長い11月30日が終わる。

「ママさんおやすみ!」


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