ママさんが倒れるまで・・・。今年のGW法事があって帰省したとき、ママさんは変わらず元気でした。一緒に心斎橋や道頓堀にも行きました。「また、夏来るからなぁ。」と言っていたのですが、5月の後半から右のリンパあたりにくりくりしたものが出来たらしく、私にはそれを6月になってから電話で言われました。ママさん「痛くないんやけどなぁ・・。なんか大きくなってきたみたいや」私「痛くない方があぶないねんでぇ。はよ病院いかなあかんやろ」でも、私もまさかそんな大変な病気になっているなんて考えもしなかったので軽く言っていました。そして、周りの人にも早く病院に行くようにやんや!と言われて始めて行きつけの病院に行ったのです。 レントゲンを撮ってみたら・・・。そこの先生はすぐ精密検査をした方がいい!という事でそれから10日間ぐらいの間に検査、結果を聞く。そして専門病院紹介。診察。翌日検査入院。と慌ただしく進みました。ママさんもまわりもこれはただごとではないと気づき・・・。それでも結核かな?と思ったりして、まさか肺ガンだなんて・・・。と思っていました。入院の前の日もママさんと電話で喋りました。少し不安そうでしたが、本人も大丈夫だろう。と思っていたはずです。 ところが入院初日7月4日。その日の検査が終わって病室に戻るとき・・・。主治医と歩いていてふらっ!と来て歩けなくなり車椅子で病室に戻ったママさんは、それから又検査をして右中大脳動脈領域の脳梗塞と判明。その日の血液検査で糖尿病だということも分かりました。倒れてから病室にいき、ママさんと対面したときはショックで真っ青になりました。脳梗塞の治療のためしばらくは肺の検査もスムーズに進みませんでした。そのうち、狭心症も判明。7月の20日頃に、正式に非小細胞ガン3期のBと診断。右頚部リンパ節の転移も分かりました。 そして、辛い治療が始まりました。 |
治療開始。放射線の治療が始まるまではしんどくて左が不自由ななかでも、まだ元気なところもありました。元気な時は車椅子にもよく乗せてもらって食事も取れたし、トイレにも連れていってもらったりしていました。ただ、身体の状態はよくなく気管支がふさがらないためにまずは放射線でその部位を治療する事になりました。7月終わる頃には鼻に酸素が入っていました。 7月24日。放射線治療開始。ゆっくり治療している場合ではなかったので予定より早めに一回の量(通常の倍)を多くして、7月24日から8月9日までの計13回の投与となりました。 並行して7月29日から抗ガン剤の治療にはいる事に。 抗ガン剤2クール目の3週目。抗ガン剤が効いてくれないようで、イレッサも口内炎の副作用がひどく、また、放射線の後遺症の食道炎がなかなか直らず、もしかしてイレッサを服用しているから治りが遅いのかもしれないと抗ガン剤もイレッサも休む事になりました。イレッサは効く人は大体1週間から10日で効果だ出始めるらしいとか・・・。この病院でも使っている他の患者さんでも効いた人もいたが効果に出ない人もいたと主治医から言われて、期待が大きかったのでショックでした。 9月17日から違う抗ガン剤の組み合わせに変わる。 2週やって少し効果が見え始めたが3週目の9月30日。ところが血液検査で血小板が異常に減っている事が判明。3週目は中止。翌日から熱も出始め、カテーテルで栄養点滴をしていたので、もしかしてカテーテル熱かもしれないということで点滴も取ったのだが、なんせ食欲のないママさんは口から食べたり、飲んだりがスムーズに出来なくて困ってしまいました。水分が取れずおしっこの出も悪く、全身状態は芳しくないようです。 10月6日。熱は下がるものの、7日のレントゲンでガンが大きくなっていることが判明し、早急に新しい抗ガン剤などを考えないとならなくなってきたようです。 10月9日。体調が芳しくないので通常の抗ガン剤が投与出来ないという事で9月に中断していた、イレッサ単独で再開しました。何もしないよりは・・・。という事かもしれないが、ホントに何もする事がないのだろうか?? (2002/10/12)現在 |
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