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すべてを知っていたママさん 今、ドラマで「僕が生きる道」という胃がんで余命1年の高校教師が主人公のドラマをやっている。 なんか不幸なことを背負う時ってガンってドラマになりやすいのか他の同時期のドラマでも病気を抱えた主人公みたいなの多くて・・・。 ママさんは入院時、右肩甲骨のところに出来たグリグリを調べてもらう為にまず近くの開業医に行った。レントゲンを撮ったらそのグリグリより肺の影がただ事ではない!と判断されて少し大きな病院に紹介されて行ったら、ますます肺がおかしい。とのことで国立療養所か京大病院かどちらかを紹介するから・・・。とのことで家から車で15分で行ける国立療養所に紹介状を書いてもらって行った。 たくさんの病気を抱えたママさんだが、すべての病名を知っていた。 主治医は告知するのが当たり前のようにママさんに言ったようだが拒否をする選択の余地があの時あったのだろうか?私はママさんが倒れて3日後に行ったのだが、そのときにはもうママさんは大体のことは聞かされていた。えっ?そんなにさらっと言っていいの?とある意味ショックだった。インフォードコンセントは自分自身が手術するときに経験したから分かるけど・・・・・。 それに脳梗塞を起こしたママさんの表情は一変していた。一番はじめに見たときはやはり驚いた。その表情は脳梗塞の人の表情だ。そんなママさんに病気の現実は重すぎる!! この7月4日。この日からママさんの病気との闘いが始まった。 ただ亡くなるまでママさんは大きな心の乱れは少なかったように思う。すごいと思った。私にいろんなわがままをいうのは可愛いものだ!そう思っていた。病気のことで私たちにいろんな事をひつこく聞いたり困らせることは一度もなかった。
糖尿病で血糖値を毎食前測るため指先から針を(専用)刺して血を採る時も「嫌や。」といいながら「しゃあないなぁ」と言っていた。脳梗塞の後遺症で左半身が動かなくってもどかしいだろうにリハビリを頑張るって言っていた。痛いIVHも胸水の管も点滴もおしっこの管も、自分は直る!!と思っているからこそママさんは頑張れたのだ。
ママさんの知人に肺がんを克服した人。脳梗塞の後遺症をリハビリで回復した人。糖尿病の治療をした人。そんな人たちがいたから自分も直る!そう思えたのだ。その友人さんたちに私は感謝したい。
それでも辛かったとは思う。誰にも言えない思いも抱えていたと思う。でもママさんは弱音を吐かなかった。身体が自由にならないだけでもすごいストレスのはず。私が出来ることは元気なときと変わらない態度で接してあげること。可哀相だ!というのは見せなかった。憎まれ口もたたき、看護師さんにもよくママさんとの会話を笑ってもらえた。
でもそれもこれもママさんが強かったから出来たし、反対に私は救われた。 そして私がママさんと同じ状況になったときこれだけ強くいられるのか?私はこれからの自分自身に問いかける。 |